長野から信濃町へ坂中街道の左右にある紅白の一本桜「大山桜」と「柳桜」

善光寺平北の小高い丘陵に位置する飯綱町牟礼は北信濃の山々を一望できるビュースポットがたくさんあるが、長野から信濃町へ通じる坂中街道沿いの、坂中トンネルを抜けて左手すぐの小高い丘の上に立つ、鮮やかな紅色をした桜が「地蔵久保の大山桜」です。樹高20m、幹周りは5m超える大きさで、その幹は地上わずか70cmのところで5本に分かれ、大きく横に広がる姿は新緑のなかひときわ鮮やかな紅色が遠目にもはっきり見えるが、樹齢100年を超える老木である。

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坂中トンネルを出た四つ辻を右に曲がり袖之山地区に向かう。小高くなった場所にあり、思う存分に長い枝を垂らして咲いているのが「袖之山のシダレザクラ」である。樹高は8.5mとさほど高くはないもののその枝ぶりは見事で長い枝では10m近くもあるだろうか。樹齢は320年以上といわれるが、その勢いは衰えず、滝に上がる飛沫のような堂々たる枝ぶりに煙るように豪勢に花を咲かせる。たくさんの枝を支える幹には、長い時間生きてきた木独特の存在感を感じるのである。日本画家・中島千波画伯が「袖之山枝垂桜」として描いたほか、絵や写真の題材として人気も高いらしい。通称「安養寺の柳桜」とも呼ばれ、もとは附近一帯は安養寺の境内であったという。青い空と残雪の残る北信五岳とのコントラストがうれしい。

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山寺に春を呼ぶ樹齢百数十年のしだれ桜に疏水沿いも散策。京都山科「般若桜」

地下鉄東西線山科駅で下車し「毘沙門堂」を目指し、 駅から徒歩10分ほどで「琵琶湖疏水」に到着。京都の近代化の一環として琵琶湖の水を京都に引くため、明治時代に堀削されたのが琵琶湖疏水で、このうち山科を通る疏水沿い2Kmは”山科疏水の道”として遊歩道が整備され、疏水にかかる安朱橋に立つと、両岸から立派な桜の木が水面に枝を広げて、桜と菜の花のコントラストがどこまでも続く光景に心ひかれる。

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さらに10分程いくと階段を上り毘沙門堂の入口、仁王門が目の前に。天台宗の五箇室門跡寺院のひとつで、ひなびた山寺の風情を残す古刹である。伝教大師作で秘仏とされている本尊の毘沙門天は京の七福神の一つに数えられる。創建は大宝3年(703)でかつては上京区出雲路にあったが、応仁の乱で廃絶、公海僧正が寛文5年(1665)にこの地に復興し、後西天皇の皇子が入寺ぢて門跡寺院となったとのこと。

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桜を見たいので本堂に沿って進むとなかなかの大きな桜の木が朱色の霊伝に花を添えている。境内にある、たくさんの桜の中でも、圧巻は樹齢百五十余年の枝垂桜「般若桜」で、毘沙門しだれとも呼ばれているこの大しだれ桜は、樹齢150年、高さは10Mとさほど高くないはないが、枝張り30Mという大きさが見事で、枝が長すぎるため、下から木で支えられている。ここもJR東海CMで撮られているのである。

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神代の昔からいくつもの時代を経てきた風格を漂わせる信州長野・素桜神社の「神代桜」

長野市内から七曲りを抜けて30分、飯綱高原に向かう途中にある芋井というほとんど戸隠に近いところの集落の田園風景の中に大きく枝を広げた美しい樹型のエドヒガンザクラがある。昭和10年(1935)に国の指定を受けた天然記念物で、高さ約20M、苔の生えた幹はいくつにも分かれ、枝は大地を覆うように四方八方に伸びるという大きさを誇る「素桜神社の神代桜」です。

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天照大神の弟である素戔鳴尊(スサノオノミコト)がこの地を訪れ、持っていた杖を地に挿したところ根付いて大きくなったと伝えられる推定樹齢1200年の巨木である。堂々と鎮座するたたずまいには、その名の通りいくつもの時代を越えてきた神様のよりしろにふさわしい堂々とした風格を感じる。

山里の空を薄紅色に染める伝説を秘めた本郷の瀧桜。奈良宇陀「又兵衛桜」

万葉集に詠まれた奈良県大宇陀町の西部にあるのが本郷の瀧桜、通称「又兵衛桜」です。ここは2015年大河ドラマ「軍師 官兵衛」の黒田官兵衛に仕え、黒田二十四将にも数えられる戦国武将・後藤又兵衛が2016年大河ドラマ「真田丸」にも描かれた大阪夏の陣の道明寺の戦いに敗れたあと、ここに落ちのびて僧侶となり一生を終えたという伝説が残っている所です。この後藤家の屋敷跡にこの瀧桜があることから、このあたりでは又兵衛桜と呼ばれ親しまれているとのこと。

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大河ドラマ「葵徳川三代」のオープニングに登場して注目されるようになった樹齢300年、幹回り約3M、高さがおよそ13Mの堂々とした一本桜なのである。山が迫る田園風景に華を添えるように立つ桜の石垣から飛び出したように垂れる枝は力強く、その周りには約50本の深紅の桃の花と黄色の菜の花を従え、桜と桃、濃淡の異なるピンク色の二種の共演が華麗であった。

奥の細道むすびの地を彩る春爛漫の桜。岐阜大垣「水門川船町港跡」

豊かな水に恵まれ、水を活かし、水運によって繁栄を見てきた大垣の町は古来「水の都、水都」と称されてきました。地図で大垣の町を見てみると、町をぐるりと囲むように川が流れていることに気付きます。実はこの「水門川」は天下分け目の関ヶ原の戦いに望む西軍・石田三成が決戦直前まで詰めていた城として名高い「大垣城」の外堀であり、揖斐川を介して大垣市船町と桑名宿を行き交う船運の運河として利用されていたのです。毎年春になると沿道に植えられた桜の木が川を覆い尽くすかのように咲き誇り、川面にその美しい姿を映し出す。春の「たらい舟川下り」は大垣城落城の際、石田三成に仕えた山田去歴の娘「おあん」がたらいに乗って抜け出したという戦国秘話に基づいているらしい。

市街地を流れる水門川に沿って大垣駅東から船町港跡まで2.2KMの遊歩道が「ミニ奥の細道」として整備されていて緑あふれる川沿いをのんびり散策できます。石堤に縁取られる緩やかな川の流れは風情を増しつつ大垣を代表するビューポイントのひとつ、「奥の細道むすびの地」船町港跡の住吉燈台に到着します。俳人・松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えてむすびの句を詠み、伊勢へと船出したのがここ大垣です。

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川沿いにいきいきと枝を伸ばす木々や季節の花々によって彩られるこの場所は、大垣と桑名を水運で結んだかつての川港である。元禄年間に建てられ明治時代に建て替えられた由緒ある燈台と周囲に咲き誇る桜並木の雅で華やかな美しさが往時の繁栄を偲ばせるのである。

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飛騨萩原の山里の日常に咲くしだれ桜「四美の岩太郎桜」

見応えのある名桜が点在する飛騨萩原周辺で一番の人気を誇る「四美の岩太郎のしだれ桜」。遠目にも息を呑むのは、土手の中腹にたち、道行く人に覆いかぶさるように咲く姿は見ごたえ十分 、下から覗きこむように見ると桜色のシャワーを振りまくように咲き誇る一本のしだれ桜の春風に揺れる細枝と舞い散る薄桃色の花弁の美しさと存在感に見とれてしまうのです。萩原町四美にあるこの見事な桜は、樹齢推定100年で、四美で蚕の卵の販売を生業としていた岩太郎という人が現在の高山市の寺から桜の若芽を譲り受け植えたので「岩太郎桜」と呼ばれています。現在は幹回り約2.6M、高さ約15Mの巨木に成長し、下呂を代表するしだれ桜となっています。

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素朴な街並みを残す下呂の萩原町には美しいしだれ桜の名所としても有名です、岩太郎桜以外にも、四美の鎮守・森山神社の岩太郎桜に姉妹桜、尾崎の永養寺に咲く樹齢350年のしだれ桜、山之口・慈雲寺の桜などそれぞれの趣で魅せてくれます。

恵那の湖面に浮かぶ桜の島!湖畔・湖上どちらからも眺め良し岐阜「恵那峡」

木曽川の流れとダムによってできた湖の中、屏風岩や鏡岩といった多彩な奇岩が立ち並び、類い希な渓谷美をみせてくれるのが「恵那峡」です。 地質学的に貴重な場所であり、大正9年に地理学者・志賀重昴が命名し、大正13年には電力王・福沢桃介が木曽川の激しい流れを堰き止めて造り上げた日本初のダム式水力発電所「大井ダム」によって人造湖が誕生し、自然と人工の美しさが巧みに調和した峡谷です。

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細長く突き出た半島に造られた「さざなみ公園」一帯は桜の名所として知られていて、遊歩道はしっかり整備されているのでゆっくりソメイヨシノが鑑賞できるのである。しかし実際はホテルが建ち並ぶところから 遠目に眺めるのが良いですよ。

その姿が龍を思わせる樹齢1100年の桜の大樹。飛騨高山「臥竜桜」

飛騨一ノ宮駅に隣接する臥龍公園内にある桜が、幹枝が竜の地に臥した姿に似ていることから名付けられた国指定天然記念物「臥龍桜」です。駅のホームを跨ぐ跨線橋を渡るとそこに樹齢1100年余り、枝張り30m、樹高20mにものぼります。幾度の枯死状態からも人々の桜を想う心により、たくましく復活した樹齢1100年の日本を代表するエドヒガンザクラの大樹があるのです。飛騨・美濃さくら33選にも選ばれ、毎年見事な花を咲かせる(見頃:4月中旬~下旬)一之宮町のシンボルです。

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実はここは「大幢寺」という伝奥禅同和尚により1539年に開山したお寺の境内にあたるとのこと。昭和6年(1931)大幢寺の住職により「臥龍桜」と命名されました。

里山に暦の春を告げる山間の姉妹桜。飛騨下呂「苗代桜」

下呂の国道41号から中原大橋を渡って1.8KM先、山裾のまだ少し肌寒い風が躍る水田の畔に仲良く寄り添い、満開の花を咲かせる2本の姉妹桜が立っています。それが別名を暦ザクラともいわれる、「苗代桜」です。樹齢400年を経て今も樹勢盛んに、それぞれ白紅色とピンク色の花弁を風にちらしています。

近江源氏の一族、佐々木氏の末流三木四郎兵衛宗次が下呂市の和佐へ移住した際に手植えしたものだと伝えられている。「苗代桜」の名の由来は、この美しい桜の開花を待って里人が苗代の準備を始めたということからきているとのことである。大切な暦の役割を果たすことから、別名「暦桜」とも呼ばれているのです。

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 鏡のような水田に2本の桜が映り、本物の桜と水面に映った桜、合わせて4本もの美しい桜がとても叙情的な雰囲気をうみだしているのである。

樹齢500年を越える巨木が湖底の村を見守る飛騨高山「荘川桜」

「荘川桜」は、御母衣ダム(岐阜県)によってつくられた国道156号(さくら街道)沿いの御母衣湖畔の中野展望台で湖底を見守るように、どっしりと腰を下ろして立っている2本の巨桜で、樹齢450余年といわれ、いずれもアズマヒガンザクラです。

いまは湖底に沈む中野地区の照蓮寺および光輪寺の境内にあったもので、村民に永く親しまれてきました。昭和34年、ダム建設中のこの地を訪れた電源開発(J-POWER)初代総裁高碕達之助が、この巨桜が湖底に沈むのを愛惜し、「桜博士」と言われた桜研究家の第一人者、故笹部新太郎氏に依頼し移植が実行されたのです。多くの専門家をして、「不可能」といわしめた世界に例を見ない大規模な移植工事は昭和35年12月に完了し、「荘川桜」と名付けられ、以来、電源開発(J-POWER)御母衣電力所が管理をし、守り続けています。

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国鉄バス名金急行線(名古屋~金沢間)の車掌佐藤良二(1929~1977)が御母衣ダム建設によって水没する集落の桜の木(荘川桜)が移植され見事に開花したことに感動し、昭和45年頃から名金急行線の沿線に桜の苗木を植え続け、その数は12年間で2000本にもなったらしい。佐藤さん亡き後、地元の有志などに 受け継がれ、現在の国道156号の荘川~白川間約76KMが「さくら街道」と呼ばれるようになったのです。

また御母衣ダムは高さ131M、幅405Mの土と岩でできた国内有数のロックフィルダムである。ダム湖である御母衣湖の静かな湖面の眺めは、絶景ポイントですよ。