伊那市民の憩いの桜の名所「春日公園」「六道の堤」信州 伊那市

伊那市西の段丘上にあるのが、戦国時代の春日城址をそのまま公園にした「春日公園」です。城は天文10年(1541)に織田信忠軍によって焼け落ちたといわれています。

現在は城の堀や石垣を彩る薄紅色の約420本のソメイヨシノとコヒガンザクラが植えられていて、桜とともに伊那市街や残雪の南アルプスを一望しながらの花見は南信州ならではの趣です。高遠城址の人ごみを避けて桜を愛でるならまさに穴場といえますよ。

国道361で高遠方面に向かい、笠原の信号を左折してしばらく走ると池の堤の周りを囲むように桜が咲き乱れる「六道の堤」が現れます。水面に映るタカトウコヒガンザクラやソメイヨシノなど120本が咲き誇る姿が美しく、カメラマンにも大変人気のスポットです。

江戸時代の末期、嘉永元年(1848)高遠藩主内藤頼寧が窮乏する藩財政を打開すべく新田開発を命じ、藤沢川から引水し嘉永4年(1851)に堤は完成。この堤の広さは約16000㎡、現在も六道原に広がる水田33.5haを潤し、春になれば水面に映る満開の桜が、東西の南アルプス、中央アルプスの白い雪と美しいコントラストを見せてくれます。水面に映る桜の間隔がなんとも絶妙で美しい穴場です。

勝間のひなびた山里にほんのりと染める「勝間薬師堂の桜」信州 高遠

高遠城址公園から三峰川をのぼっていくと、白山トンネルを抜けた先に勝間集落があります。その集落の上方の小高い丘の一角をほんのり染めるのが、勝間薬師堂をすっぽりと包み込むように両脇に咲き誇る樹齢150年の2本のシダレザクラです。

大瀑布のしぶきのようにしだれ、周辺にも何本かの桜の木があり、ひなびた里山の景観を一転、あでやかな錦絵巻に変えています。ひと枝ひと枝に力強さが感じられ、静かな山里とともに生き続ける桜を見ながらゆっくりとした時間を過ごしてみてください。高遠城址公園の天下第一の桜を見たあとは、なおさらひっそりと咲く風情に心が洗われますよ。

勝間薬師堂からは、手前にエメラルドグリーンの高遠湖の湖畔、桜に囲まれる高遠ホテル、そしてその奥にはタカトウコヒガンザクラの雲海に囲まれた高遠閣の赤い屋根が遠望できます。

高遠さくらホテルの館内は湖に面してガラス張りとなっていて、レストランでは高遠湖畔に咲く桜を眺めながら食事ができるのも魅力です。日帰り入浴も可能で、高遠城址の花見帰りに、もうひと足伸ばして立ち寄るのもいいですよ。

早太郎伝説の残る南信州随一の古刹「光前寺のしだれ桜」信州 駒ヶ根

中央自動車道駒ヶ根ICから光前寺へ足を延ばしてみましょう。平安時代前期、貞観2年(860)に不動明王を本尊とし本聖上人によって開かれた南信州随一の祈願霊場が、天台宗の別格本山「宝積山光前寺」です。

境内は杉林に包まれ樹齢数百年の巨木も多く、光苔や遠州見附の怪物を退治した霊犬・早太郎伝説で彩られた寺に、いっそう荘厳な気配を漂わせます。

昭和42年(1967)「光前寺庭園」の名で、6.7haに及ぶ全域が国の名勝に指定された庭園を中心に門前や境内の約70本のシダレザクラが咲き誇り、晴れていれば残雪の中央アルプス駒ケ岳を借景に艶やかに彩ります。駒ヶ根高原フェスティバル「春の宴」の期間中は夜間ライトアップされます。

光前寺の桜に先駆けて花を付けることで知られるのが、駒ヶ根市中沢にある「吉瀬のしだれ桜」です。中沢地区の里山に一本だけそびえ立つ大樹は、訪れる人の少ない場所ですが、堂々と枝を伸ばす様は他の名桜にも劣りませんよ。

近くの十王堂にも立派な一本桜があり見応えがありますので一緒に是非寄ってみてください。

名城を埋め尽くす天下第一の桜!「高遠城址公園」 信州高遠

「たかとほは 山裾のまち 古きまち ゆきあう子等の うつくしき町」と明治の文学者・田山花袋が謳った高遠は、700有余年の歴史文化に支えられた城下町。日本さくら名所100選に選ばれ「天下第一の桜」として誉れ高い、信州屈指の桜の名所「高遠城址公園」があります。

園内には約1500本ものタカトウコヒガンザクラが大きく枝を広げ、天空を覆い尽くさんばかりに咲き誇っています。桜色が濃く、鮮やかな濃いピンクが風にそよぎ、満開の頃ともなるとその壮観さに圧倒されます。雪を残した中央アルプスを背に、鮮やかに咲き誇る“桜の森”は言葉にならない迫力と美しさを持っています。

高遠と桜のつながりは古く、江戸時代元禄年間には3万3千石の内藤家が居城としていた頃、馬場に立派な桜並木がありました。明治時代に城は取り壊されて公園となりましたが、明治8年(1875)荒れ果てていた城址を見かねて高遠藩の旧藩士が「桜の馬場」から桜を植え替えたました。それが今の高遠城址の桜となって多くの人を惹きつけています。

天文16年(1547)武田信玄によって築城された高遠城は、敵から城を守るために空堀が造られました。現在では絶好のお花見ポイントになっている空堀に架かる桜雲橋は、問屋橋とともに高遠城址公園のシンボルです。赤い欄干の橋が満開の桜に包まれるこの場所で、水面に映し出される桜もまた美しいのです。

左に高遠湖を眺めながらしばらく歩くと白山トンネルの手前、五郎山登山口の標識を見つけます。天正10年(1582)武田信玄の五男・仁科五郎盛信が織田信忠と戦い、壮絶な死を遂げたのも高遠城でした。五郎山の頂上には仁科五郎盛信のお墓があるのですが、その手前白山神社の先、白山観音の小さな標識を頼りに登ること登山口から20分、正面に高遠城址公園の全景を眺めることができます。1500本のタカトウコヒガンザクラが満開になる様子はまさしく「茜雲がたなびくよう」とたたえられるありさまです。

                     2016/4/9撮影

日本の美しい村・信州小川村に春の訪れを告げる「立屋の桜」「番所の桜」「二反田の桜」

白馬に向かう県道31号から狭い道を上っていった先に待ち構えるように威風堂々と立つ2本の桜。

淡い「立屋の桜」は樹齢300年のエドヒガンザクラ

すぐ近くにある「番所の桜」はやや新しく、松代藩の立屋口留番所に植えられたシダレザクラ

2つの桜は同時期に咲くが、番所の桜のほうがやや早い。桜山公園にはベンチが置いてあり、のんびりと桜を眺められ、桜越しに眺める北アルプスとの対比が美しい。

山の緑に混じって淡い紅色や白色の花が咲く様は風情があり、和歌にも多く詠まれている山桜を小川村の二反田では、10数年前に植え見事に花を咲かせ、癒しの里を象徴する風景となっています。

名桜の宝庫!「一本桜の里」南信州飯田で銘桜紀行。飯田郊外編

遠州街道の旧道沿い、段丘の斜面から長く枝を伸ばし、ながれ落ちる滝のようなダイナミックな姿が印象的な推定樹齢約350年のシダレザクラが「くよとの桜」です。根元には秋葉、蚕玉、天神といった神仏の石塔が並んでいて、信濃守護・小笠原氏の内紛の犠牲者を弔うための「くよと(供養塔)」と呼んだとされます。飯田市内でもっとも早く咲き始めるエドヒガンのひとつで、旧遠州街道を覆うように枝が伸び、のどかな田園風景とあいまって人気が高いです。

飯田IC近く大瀬木にある増泉寺は、およそ1200年の歴史を持つ笠松山の麓に立つ古刹。「増泉寺の天蓋枝垂れ桜」は樹齢約300年、天蓋のように境内を覆う見事な樹形の紅枝垂れ桜で、樹高は18mあり、地面スレスレに枝を落ろしています。見上げれば天から降るように思え、山門越しに眺めるとその大きさが際立ちます。国道153号から寺への路地が狭いので注意が必要ですよ。

2018/4/14撮影

名桜の宝庫!「一本桜の里」南信州飯田で銘桜紀行。飯田城址編

南信州飯田市には、樹齢300年を超える由緒ある老桜や樹形の素晴らしい一本桜が多く残されており、信州の中でも桜の名所として人気があります。限られた地域で、これだけ多くの名桜が観られる所は全国的にも大変珍しく、市内に一本桜が多いのは江戸時代の飯田藩主が桜好きだったため、周辺に植えるように命じたためと伝わります。

正しくは長姫城と呼ばれる飯田城跡は、飯田市が一望できる高台にあり、二の丸跡の現在飯田市美術博物館がある敷地内には、樹齢は450年以上、胸高周囲6m、樹高約20m、県の天然記念物に指定されている「長姫(おさひめ)の江戸彼岸桜」があります。通称「安富桜」の名で親しまれていて、この飯田城(長姫城)二の丸跡が家老安富氏の邸宅だったため、この名がつきました。

人工的な支えもないまま太い枝を四方に伸ばす姿は、どうどうたるものです。幹と枝張りが雄々しく均整のとれた美しい樹形が素晴らしく、古木の風格を感じさせてくれます。その凛々しい立ち姿は近くで見ても遠くから見ても美しく、傍らでサンシュの黄色い花が彩りを添えています。

同町の県飯田合同庁舎の東端の崖縁にあるのが「桜丸の夫婦桜」。ここは曲輪内に桜が多く植栽されたので桜丸と呼ばれた飯田城桜丸跡地で、脇坂安元が建てた桜丸御殿がありました。推定樹齢400年、胸高周囲5m、高さ10m、南アルプスを望むような樹形が見事です。一本の木に見えますが、エドヒガンとシダレザクラが根元で合体していて、寄り添って咲く珍しい夫婦桜です。

 

 

 

 

 

中央アルプスを望む高台に咲く桜花。「大草城址公園」信州中川村

天竜川の川べりから山肌まで染めるソメイヨシノの林の坂戸峡。薄紅色に色づく花は南信州の早い春を告げる風物詩です。アーチ型の坂戸橋の両側もぎっしりと咲く花のトンネルに彩られ、R153をドライブしながら気軽に楽しめる花見スポットとなっています。

国道から登録有形文化財の坂戸橋の桜のトンネルをくぐります。

天竜川を渡った東岸、天竜川が造り出した壮大な河岸段丘の上、中川村の「アンフォルメル中川美術館」近くにあるのが「大草城址公園」です。高台にあるため眺望が素晴らしく、10種類以上約200本の桜が咲き誇り、残雪を冠した中央アルプスが目の前にそびえます。

南北朝時代に大河原城主だった香坂高宗が後醍醐天皇の第八皇子である宗良親王を奉じて大草城にて挙兵しました。親王は南朝の力を回復するために越後や越中を攻めましたがうまくいかず伊那谷に逃れて30年間を信濃宮方の本拠地となる同地ですごしたといわれます。

2018/4/4撮影

茅葺きのお堂に義仲ゆかりのソメイヨシノ!「光輪寺と薬師堂の桜」信州・朝日村

ルートは塩尻市中山道洗馬宿からサラダ街道を朝日村方面に向かうひなびた一本道を走ること塩尻ICからクルマで20分。光輪寺の前は畑が広がり、その真ん中を参道が伸びています。そしてお寺の正面にあり枝垂れ桜が目に飛び込んできます。

山手にあった古薬師堂を光輪寺近くの地(南に約150m)に平家討伐の祈願のため移したのが木曽義仲。宝暦10年(1760)と伝えられ、そのとき一緒にお手植えされたソメイヨシノの2代目が現在の桜です。初代は周囲8.4mもある大木だったようですが、明治34年(1901)7月24日に老朽により枯れ死してしまい、その時に植え替えられたのが今の桜です。樹齢およそ110年の老木は、茅葺き屋根の薬師堂の傍らに枝を広げ、素朴ながら華やか。シーズンともなると県外から多数のカメラマンが訪れます。

入母屋造りの堂々たるこの薬師堂には、いにしえより病が癒えるように多くの人々が訪れました。周囲吹放ちの外陣と三間五間の内陣、左右に脇の間がある大規模なお堂の欄間には手の込んだ彫刻が見られ建立された時代を感じさせる。棟札によれば宝暦10年(1760)の建立です。

光輪寺入口にひっそりと立つ山里のお地蔵さまは、病を癒しに訪れる人々を何百年もの間、静かに見守り続けています。

北側墓地の五輪塔が並ぶ一画には樹齢300年のシダレ桜があり、こちらも併せて回ります。枝を切ったのか積雪で折れたのか横枝が少ないように感じます。

 

偉大な功労者への敬意の表れ!五郎兵衛ゆかりの桜「関所破りの桜」信州佐久

地域の水田開拓に尽力した市川五郎兵衛翁ゆかりの桜。明和5年(1768)に五郎兵衛新田(浅科村)の村民が彼を偲んで祀る真親神社を建立することになりました。翁の生家、上州(群馬県)砥沢村の市川家からよい枝垂れ桜が菩提寺である滝川村の慈眼寺にあるとのことで、この神社の社前に桜木を植えようと上州まで苗木を採りに出かけた際、割符(通行手形)を忘れたことに気付きました。しかしながら碓氷峠の役人も「市川氏の功績をたたえる桜のためなら」と心よく関所を通してくれたのが名前の由来といいます。

なお地元では別に「苗代桜」とも呼び、旧浅科村の見晴らしの良い丘に建つ五郎兵衛記念館の敷地内にあり、五郎兵衛米で知られる市川五郎兵衛真親を祀る横で、薄紅色の花をつけてしっとりとした風情を見せています。