名桜の宝庫!「一本桜の里」南信州飯田で銘桜紀行。飯田郊外編

遠州街道の旧道沿い、段丘の斜面から長く枝を伸ばし、ながれ落ちる滝のようなダイナミックな姿が印象的な推定樹齢約350年のシダレザクラが「くよとの桜」です。根元には秋葉、蚕玉、天神といった神仏の石塔が並んでいて、信濃守護・小笠原氏の内紛の犠牲者を弔うための「くよと(供養塔)」と呼んだとされます。飯田市内でもっとも早く咲き始めるエドヒガンのひとつで、旧遠州街道を覆うように枝が伸び、のどかな田園風景とあいまって人気が高いです。

飯田IC近く大瀬木にある増泉寺は、およそ1200年の歴史を持つ笠松山の麓に立つ古刹。「増泉寺の天蓋枝垂れ桜」は樹齢約300年、天蓋のように境内を覆う見事な樹形の紅枝垂れ桜で、樹高は18mあり、地面スレスレに枝を落ろしています。見上げれば天から降るように思え、山門越しに眺めるとその大きさが際立ちます。国道153号から寺への路地が狭いので注意が必要ですよ。

2018/4/14撮影

名桜の宝庫!「一本桜の里」南信州飯田で銘桜紀行。飯田城址編

南信州飯田市には、樹齢300年を超える由緒ある老桜や樹形の素晴らしい一本桜が多く残されており、信州の中でも桜の名所として人気があります。限られた地域で、これだけ多くの名桜が観られる所は全国的にも大変珍しく、市内に一本桜が多いのは江戸時代の飯田藩主が桜好きだったため、周辺に植えるように命じたためと伝わります。

正しくは長姫城と呼ばれる飯田城跡は、飯田市が一望できる高台にあり、二の丸跡の現在飯田市美術博物館がある敷地内には、樹齢は450年以上、胸高周囲6m、樹高約20m、県の天然記念物に指定されている「長姫(おさひめ)の江戸彼岸桜」があります。通称「安富桜」の名で親しまれていて、この飯田城(長姫城)二の丸跡が家老安富氏の邸宅だったため、この名がつきました。

人工的な支えもないまま太い枝を四方に伸ばす姿は、どうどうたるものです。幹と枝張りが雄々しく均整のとれた美しい樹形が素晴らしく、古木の風格を感じさせてくれます。その凛々しい立ち姿は近くで見ても遠くから見ても美しく、傍らでサンシュの黄色い花が彩りを添えています。

同町の県飯田合同庁舎の東端の崖縁にあるのが「桜丸の夫婦桜」。ここは曲輪内に桜が多く植栽されたので桜丸と呼ばれた飯田城桜丸跡地で、脇坂安元が建てた桜丸御殿がありました。推定樹齢400年、胸高周囲5m、高さ10m、南アルプスを望むような樹形が見事です。一本の木に見えますが、エドヒガンとシダレザクラが根元で合体していて、寄り添って咲く珍しい夫婦桜です。

 

 

 

 

 

中央アルプスを望む高台に咲く桜花。「大草城址公園」信州中川村

天竜川の川べりから山肌まで染めるソメイヨシノの林の坂戸峡。薄紅色に色づく花は南信州の早い春を告げる風物詩です。アーチ型の坂戸橋の両側もぎっしりと咲く花のトンネルに彩られ、R153をドライブしながら気軽に楽しめる花見スポットとなっています。

国道から登録有形文化財の坂戸橋の桜のトンネルをくぐります。

天竜川を渡った東岸、天竜川が造り出した壮大な河岸段丘の上、中川村の「アンフォルメル中川美術館」近くにあるのが「大草城址公園」です。高台にあるため眺望が素晴らしく、10種類以上約200本の桜が咲き誇り、残雪を冠した中央アルプスが目の前にそびえます。

南北朝時代に大河原城主だった香坂高宗が後醍醐天皇の第八皇子である宗良親王を奉じて大草城にて挙兵しました。親王は南朝の力を回復するために越後や越中を攻めましたがうまくいかず伊那谷に逃れて30年間を信濃宮方の本拠地となる同地ですごしたといわれます。

2018/4/4撮影

茅葺きのお堂に義仲ゆかりのソメイヨシノ!「光輪寺と薬師堂の桜」信州・朝日村

ルートは塩尻市中山道洗馬宿からサラダ街道を朝日村方面に向かうひなびた一本道を走ること塩尻ICからクルマで20分。光輪寺の前は畑が広がり、その真ん中を参道が伸びています。そしてお寺の正面にあり枝垂れ桜が目に飛び込んできます。

山手にあった古薬師堂を光輪寺近くの地(南に約150m)に平家討伐の祈願のため移したのが木曽義仲。宝暦10年(1760)と伝えられ、そのとき一緒にお手植えされたソメイヨシノの2代目が現在の桜です。初代は周囲8.4mもある大木だったようですが、明治34年(1901)7月24日に老朽により枯れ死してしまい、その時に植え替えられたのが今の桜です。樹齢およそ110年の老木は、茅葺き屋根の薬師堂の傍らに枝を広げ、素朴ながら華やか。シーズンともなると県外から多数のカメラマンが訪れます。

入母屋造りの堂々たるこの薬師堂には、いにしえより病が癒えるように多くの人々が訪れました。周囲吹放ちの外陣と三間五間の内陣、左右に脇の間がある大規模なお堂の欄間には手の込んだ彫刻が見られ建立された時代を感じさせる。棟札によれば宝暦10年(1760)の建立です。

光輪寺入口にひっそりと立つ山里のお地蔵さまは、病を癒しに訪れる人々を何百年もの間、静かに見守り続けています。

北側墓地の五輪塔が並ぶ一画には樹齢300年のシダレ桜があり、こちらも併せて回ります。枝を切ったのか積雪で折れたのか横枝が少ないように感じます。

 

偉大な功労者への敬意の表れ!五郎兵衛ゆかりの桜「関所破りの桜」信州佐久

地域の水田開拓に尽力した市川五郎兵衛翁ゆかりの桜。明和5年(1768)に五郎兵衛新田(浅科村)の村民が彼を偲んで祀る真親神社を建立することになりました。翁の生家、上州(群馬県)砥沢村の市川家からよい枝垂れ桜が菩提寺である滝川村の慈眼寺にあるとのことで、この神社の社前に桜木を植えようと上州まで苗木を採りに出かけた際、割符(通行手形)を忘れたことに気付きました。しかしながら碓氷峠の役人も「市川氏の功績をたたえる桜のためなら」と心よく関所を通してくれたのが名前の由来といいます。

なお地元では別に「苗代桜」とも呼び、旧浅科村の見晴らしの良い丘に建つ五郎兵衛記念館の敷地内にあり、五郎兵衛米で知られる市川五郎兵衛真親を祀る横で、薄紅色の花をつけてしっとりとした風情を見せています。

朝日将軍との絆を知るゆかりの地に咲く桜樹「岩屋堂観音義仲桜」信州上田

県歌「信濃の国」で「旭将軍」とうたわれる平安時代の武将・木曽義仲。兵を集めるため信濃国中を回ったことから木曽以外にも義仲公の伝説は残っています。とくに東信は有力豪族である海野氏を引き入れたことからゆかりが深く、戦勝祈願をしたという岩屋堂観音が、上田市市街地から丸子方面に向かい、依田川一帯を眼下に臨む場所にあります。約200段ほどの急勾配の参道を登ります。

参道脇には、かつて戦勝祈願に訪れた際、木曽義仲公が自ら植えたとも馬を繋いだとも伝わる樹齢800年のエドヒガンザクラ「義仲桜」が例年4月中旬桜の季節になると花をつけます。樹高40m。幹周4.6m、枝張り30mの巨木です。

石段を登ると一番上に見えるのが、戦勝祈願に参った際、参道脇の道を馬で登ったことから現在「義仲馬大門」と呼ばれています。

当山は今から約1200年前、平安時代初期の承和元年(834)、比叡山第三代座主慈覚大師円仁が信濃巡礼の折に一本の柳の木から三体の観音像を彫刻し、その時に柳の胴の部分で作った像をここに納めたのが開基です。山名の龍洞山は「柳」と「胴」に通じています。御本尊、大師御謹刻の聖観世音菩薩は約220年前の安永6年(1778)建立の堂宇に安置されています。以前は「奥の院」と呼ばれる本堂裏の洞窟中に安置されていました。

朱塗りの観音堂は、切り立つ岩山の中腹に食い込むように建っているのが特徴で、その迫力に圧倒されてしまいますが、その建物は平安の頃を思い出させるように優雅で気品があり、いつまでも見ていても身飽きることのない、真っ白な彫り物、彩色の美しい蟇股と美しい佇まいです。

2018/4/9撮影

名桜の宝庫!「一本桜の里」南信州飯田で銘桜紀行。飯田市内編

江戸時代に江戸詰の交代藩士の屋敷があったことから名付けられた江戸町には、武田信玄の息女、黄梅院姫の菩提を弔うために建立された黄梅院があります。本堂脇に植えられている「黄梅院の枝垂れ桜」は、推定樹齢約350年の紅彼岸系の古木です。飯田城主脇坂安政公が、先代である安元公の菩提を弔うために、「弥陀の四十八願」にちなんで領内四十八寺堂に植えた桜の一本とも言われています。

樹高約18m、幹周り5.5m、天に向かって真直ぐに立ち、左右に枝を張った姿はまるで冠のような樹形で気品を感じさせます。開花時の紅色がひときわ鮮やかなのも特徴で、日が経つにつれて花びらは白さを増し、そのグラデーションを楽しむのも一興です。桜花の中で最も濃い紅色は紅梅をも思わせますよ。

同じ江戸町にある正永寺は、応永15年(1408)飯田城主・坂西由政によって開基された曹洞宗の寺です。本堂脇に立つ「正永寺の枝垂れ桜」は、戦国時代、飯田城主が各寺を城の周りに移転するように命令し、ここに寺が移転、建立された文禄3年(1594)に植えられたとも、飯田城主脇坂安政公が、先代である安元公の菩提を弔うために領内に48本の桜を植えたとされる、「弥陀四十八願」の一本とも推測されます。

推定樹齢400年余、胸高周囲3.8m、高さ15mの古木は、老木のため幹の傷みが激しいのですが、どっしりとした幹は飯田の歴史の重みを伝えています。幹の片側だけに大きく張り出し枝垂れて咲く花は、まるで天空からの大瀑布のように流れ落ち、荘厳な美しさです。

江戸町の隣、伝馬町にあるのが曹洞宗のお寺「専照寺」です。通りから細い参道を入った所にあります。屋根の上に鐘楼が乗っている珍しい山門をくぐります。正面には釈迦牟尼仏を覆うようにしだれる推定樹齢400年の古木が「専照寺のシダレザクラ」です。慶長8年(1603)、城主小笠原氏の帰依により現在地に移転され、その時に植栽されたと推測されています。胸高周囲4.5m、樹高10mです。

愛宕町にある「愛宕神社の清秀桜」は、樹齢約780年、胸高周囲6.7m、高さ10mの巨木で市内最古、県内でも屈指の老木のエドヒガンザクラです。仁治元年(1240)、愛宕城が長姫城に移った跡地に建てられた、地蔵寺の清秀法印がこの桜を植えたといい、悠久の時を越えてきた深みのある美しさが感じられます。花びらが濃いピンク色をしているのが特徴です。

また境内には、昔境内でお店をしていた千代蔵さんが植えた「千代蔵桜」と呼ばれる一本桜もあり、一緒に楽しめますよ。

2017/4/14撮影

 

座光寺の日本唯一の半八重彼岸枝垂れ桜「麻績の里 舞台桜」信州・飯田

南信州飯田市座光寺・元善光寺の近くに、石段を上ると、古き良き時代の面影を残す手入れが行き届いた木造校舎があり、その校庭に樹高8mのところから地面につくほどに伸びた枝を持つ、樹齢約400年の桜が出迎えてくれます。

薄紅の花びらが風にそよぎ、横に長く伸びた枝は、垂れないように添え木があてられています。それが「麻績の里 舞台桜」です。「麻績の里 舞台桜」は、5つの花びらの中に雄しべが花弁に変化した「旗弁」があり、花びらの数が5~10枚と定まらないのが特徴で、平成17年に新種と断定された「半八重枝垂れ紅彼岸桜」との呼び名を持ち、飯田下伊那でも人気の高い名桜の一つです。

名の由来となった旧座光寺麻績学校校舎は、明治7年に建てられた県下最古の学校建築で、2階が校舎、1階が歌舞伎舞台として使用されていました。

建物の黒い屋根瓦とのコントラストが、その美しさをさらに際立たせているようで、南アルプスの眺望も美しいです。

麻績の里 石塚の桜」は麻績の里舞台桜のすぐ近くにあり、石塚一号古墳の上に立つシダレザクラです。樹齢は250年、樹高は約15mで、根元には古墳の横穴があり石室が納まっています。小高く盛られた半円形の古墳の上で、まるでこの古墳を守るように
枝垂れた枝が包んでいます。

信州の郷愁誘う「学校」の空間を残す木造校舎と桜の風景!信州・飯田「杵原学校のシダレザクラ」

中央自動車道・飯田山本IC下りてすぐ、国道153号から少し入った飯田市佐竹に、木造平屋建ての校舎(旧山本中学校)を背に、均整の取れた枝が広がる一本桜が「杵原学校のシダレザクラ」です。かつて子供達を見守った桜は、今もまるで両手を広げ、子どもたちを包み込むように咲き誇り、地区住民を眺めながら佇んでいます。

校舎は杵原学校と呼ばれ、昭和24年(1949)竣工、昭和60年(1985)廃校となるも、平成17年、戦後の建物としては全国初の国登録有形文化財に指定されています。学校は南北2棟の建物が渡り廊下でつながれ、板張りの長い廊下や木製の窓枠、寄棟造りの瀟洒な玄関ポーチなど昭和中期の懐かしい姿を留めています。

この佇まいに目をつけた山田洋次監督、吉永小百合主演の平成20年公開、映画『母べえ』や続く平成27年公開の『母と暮らせば』のロケも行われました。撮影当時のまま黒板が残っている教室や校舎内が見学できます。