旧浪合村宮の原で戦死した後醍醐天皇の孫尹良親王の故事に因む。信州阿智村「御所桜」

御醍醐天皇の孫、尹良(ユキヨシ)親王が暮らした旧浪合村・浪合宿の語源は「並合」。それは家並が軒を重ねあって賑わっていたことに由来し、中馬海道を通る人馬が並び合ったからだともいわれています。

浪合が御所の里を標榜しているのには理由があります。南北朝動乱の時代、南朝勢力の挽回に奔走され、室町時代の応永31年(1424)8月15日、上野国から三河国に赴く途中、浪合の地で北朝方の敵軍に襲われこの浪合村宮の原で戦死した後醍醐天皇の孫尹良親王の故事にちなんでおり、この桜もそれゆえ「御所桜」といわれています。

どこからみてもほぼ同じ樹型をしておりなかなか見ごたえがあります。