山にかかった霞と見まごう、桜の渓谷。岐阜池田町「霞間ヶ渓」

国道256号から157・303号で揖斐川町に、そこから417号(西濃こでまり街道)で池田町にある「霞間ヶ渓公園」があります。霞間ヶ渓はかつて鎌ヶ谷と呼ばれていて、古くから池田山の東斜面にヤマザクラ、シダレザクラ、エドヒガンなど数種類のサクラが谷間に沿って自生している地として知られる桜の名所で天保時代には既に多くの花見客が訪れていたといいます。そこへ大垣藩が治山政策のためにソメイヨシノなどを新たに植樹、更に明治以後も観光開発の一環で、植樹は増え続け、全長2キロメートルの渓谷一帯には約1500~ 2000本のサクラが見られるようになったのです。

この桜が一斉に咲き誇ると、遠くから眺めれば霞が掛かったように見えることから、いつしか「霞間ヶ渓」と呼ばれるようになったとのこと。日本のさくら名所100選にも選ばれているのである。

地元住民憩いの場。名瀑・養老の滝へと続く桜道!岐阜「養老公園」

養老山の麓、養老鉄道養老駅から滝の水が酒に変わったという孝子伝説で知られる名瀑「養老の滝」に至る、「養老公園」内の約2kmの散策路にはソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラなど約3000本の桜が植えられていて、開花時期には公園一体が薄紅色の桜色に染まります。芝生広場や川沿いにお弁当を広げ、心地よい風にふかれながら心ゆくまで咲き誇る桜を見上げている人が多く、また養老の滝に向かう散策路に架かる渡月橋からの桜の眺めは格別に美しいとのことです。

養老公園は養老の滝を中心に面積約78.6haにも及ぶ広大な公園で秋は紅葉の名所として知られています。

1500余年にわたる花の命を人々の想いでつなぐ日本三大桜。岐阜「根尾谷薄墨桜」

岐阜県と福井県にまたがる美濃の山里。太平洋と日本海の分水嶺となっている白山信仰の霊山である標高1671mの能郷白山の雄大な大自然に守られて、悠然と佇む桜がほころぶと、標高204mの山あいは淡墨色の花衣をまとう風景に染まるのである。

今から1500年あまり前の昔、山奥に隠れ住んでいた応神天皇五世の孫・彦主人王の孫・男大遮王後の継体天皇が、都に戻ることになったとき、村人たちとの別れを惜しんで、尾張一宮から持ち帰られた桜を、次男・桧隅高田王の産屋跡に、お手植えになったとされる「根尾谷の淡墨桜」は、国指定天然記念物に認定された、日本第2の長寿を誇る樹齢1500余年 、樹高16.3m、根回り9.9m、東西の幅が26.9mの巨木で、日本三大桜の一つとされている。

この時に詠まれた詩が「身の代と遺す桜は薄住(うすずみ)よ 千代にその名を栄盛(さか)へ止(とど)むる」である。
花の色は蕾の時に薄いピンク、満開時に白色に変化。そして、散り際には淡い墨を引いたような色になるのである。これが淡墨桜の名の由来である。作家の宇野千代さんが保護を訴えて活動し、小説「淡墨の桜」を執筆したことでもよく知られている。

遥か奥州に落ち延びる源義経の道中を思い起こす信州阿智「駒つなぎの桜」

阿智村南西部、岐阜県と県境を接する園原は、恵那山の東山裾に広がる山合いの小さな集落であるが、この地は古代・中世にかけて都人におおいに親しまれていた地なのである。その理由は、この地を大宝律令が出された701年に近江国(滋賀県)を起点に「東山道」という都から東国を結ぶ官道が通り、その東山道のなかでも殊に標高1576Mの神坂峠を超える信濃国阿知駅(阿智村)と美濃国坂本駅(中津川市)を結ぶ行程は、およそ七十四里を隔てる最大の難所といわれ、「神坂峠」の存在があまりにも大きかったのではないかと思われる。
都からの旅人にとっては険しい峠を越えた最初の人里、そして東国からの旅人にとっては東国最後の里、それが園原なのである。

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源義経が奥州下向の折りに、馬をつないで休んだといわれる大きな桜の木が旧道と林道との分岐点に近い水田の端にある。「駒つなぎの桜」といわれ、樹齢は800年を超えると言われるが、樹勢今なお盛んで、見事な樹冠をもたげ悠然と咲き薫る風姿は、牧歌的な田園風景をとびきりなものにしてくれる。難所・神坂峠の麓で多くの旅人の目を楽しませてきたことがうかがえる。棚田が重なる田園風景の中にあり、開花期は」ちょうど田植えの時期。田んぼに水が張られ、水鏡に映る薄紫の桜を愛でることができます。