文学作品の舞台にもなった夙川の桜ロードを歩く!兵庫西宮「夙川公園」

古くから多くの文人が好んで住み、数々の文学作品の舞台になった閑静な住宅街・兵庫県西宮市。この町を南北4Kmに渡って流れる夙川には、「日本さくら名所100選」に選ばれている夙川公園が整備されており、春、夙川沿いの桜並木が一斉に咲き誇ります。

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兵庫県西宮市の閑静な住宅街を流れる夙川沿いが、4月美しい桜並木に変身します。日本さくら名所100選に選定されている夙川河川敷緑地とも呼ばれる「夙川公園」。南は阪神香櫨園駅から北は阪急苦楽園口駅間の全長約3KM、約2300本の桜が一斉に咲き誇り、うららかな春の陽射しを浴びて川面を薄紅色の染める姿が格別なのです。

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ソメイヨシノやオオシマザクラに混じって「夙川舞桜」という夙川周辺のサクラから自然交配によってできた西宮生まれのオリジナル桜があり、探してみてください。花は半八重~八重咲きで、咲きはじめは淡い紅色でのちに白色に変わるとのことです。

夙川沿いの桜や松、夙川の流れが田辺聖子の『女の日時計』や宮本輝の『青が散る』といった文学作品の中に美しく描かれています。夙川の素晴らしさを桜並木の中を歩いていると作品の中に入ったかのように実感できます。

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旧浪合村宮の原で戦死した後醍醐天皇の孫尹良親王の故事に因む。信州阿智村「御所桜」

御醍醐天皇の孫、尹良(ユキヨシ)親王が暮らした旧浪合村・浪合宿の語源は「並合」。それは家並が軒を重ねあって賑わっていたことに由来し、中馬海道を通る人馬が並び合ったからだともいわれています。

浪合が御所の里を標榜しているのには理由があります。南北朝動乱の時代、南朝勢力の挽回に奔走され、室町時代の応永31年(1424)8月15日、上野国から三河国に赴く途中、浪合の地で北朝方の敵軍に襲われこの浪合村宮の原で戦死した後醍醐天皇の孫尹良親王の故事にちなんでおり、この桜もそれゆえ「御所桜」といわれています。

どこからみてもほぼ同じ樹型をしておりなかなか見ごたえがあります。

 

山にかかった霞と見まごう、桜の渓谷。岐阜池田町「霞間ヶ渓」

国道256号から157・303号で揖斐川町に、そこから417号(西濃こでまり街道)で池田町にある「霞間ヶ渓公園」があります。霞間ヶ渓はかつて鎌ヶ谷と呼ばれていて、古くから池田山の東斜面にヤマザクラ、シダレザクラ、エドヒガンなど数種類のサクラが谷間に沿って自生している地として知られる桜の名所で天保時代には既に多くの花見客が訪れていたといいます。そこへ大垣藩が治山政策のためにソメイヨシノなどを新たに植樹、更に明治以後も観光開発の一環で、植樹は増え続け、全長2キロメートルの渓谷一帯には約1500~ 2000本のサクラが見られるようになったのです。

この桜が一斉に咲き誇ると、遠くから眺めれば霞が掛かったように見えることから、いつしか「霞間ヶ渓」と呼ばれるようになったとのこと。日本のさくら名所100選にも選ばれているのである。

地元住民憩いの場。名瀑・養老の滝へと続く桜道!岐阜「養老公園」

養老山の麓、養老鉄道養老駅から滝の水が酒に変わったという孝子伝説で知られる名瀑「養老の滝」に至る、「養老公園」内の約2kmの散策路にはソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラなど約3000本の桜が植えられていて、開花時期には公園一体が薄紅色の桜色に染まります。芝生広場や川沿いにお弁当を広げ、心地よい風にふかれながら心ゆくまで咲き誇る桜を見上げている人が多く、また養老の滝に向かう散策路に架かる渡月橋からの桜の眺めは格別に美しいとのことです。

養老公園は養老の滝を中心に面積約78.6haにも及ぶ広大な公園で秋は紅葉の名所として知られています。

1500余年にわたる花の命を人々の想いでつなぐ日本三大桜。岐阜「根尾谷薄墨桜」

岐阜県と福井県にまたがる美濃の山里。太平洋と日本海の分水嶺となっている白山信仰の霊山である標高1671mの能郷白山の雄大な大自然に守られて、悠然と佇む桜がほころぶと、標高204mの山あいは淡墨色の花衣をまとう風景に染まるのである。

今から1500年あまり前の昔、山奥に隠れ住んでいた応神天皇五世の孫・彦主人王の孫・男大遮王後の継体天皇が、都に戻ることになったとき、村人たちとの別れを惜しんで、尾張一宮から持ち帰られた桜を、次男・桧隅高田王の産屋跡に、お手植えになったとされる「根尾谷の淡墨桜」は、国指定天然記念物に認定された、日本第2の長寿を誇る樹齢1500余年 、樹高16.3m、根回り9.9m、東西の幅が26.9mの巨木で、日本三大桜の一つとされている。

この時に詠まれた詩が「身の代と遺す桜は薄住(うすずみ)よ 千代にその名を栄盛(さか)へ止(とど)むる」である。
花の色は蕾の時に薄いピンク、満開時に白色に変化。そして、散り際には淡い墨を引いたような色になるのである。これが淡墨桜の名の由来である。作家の宇野千代さんが保護を訴えて活動し、小説「淡墨の桜」を執筆したことでもよく知られている。

遥か奥州に落ち延びる源義経の道中を思い起こす信州阿智「駒つなぎの桜」

阿智村南西部、岐阜県と県境を接する園原は、恵那山の東山裾に広がる山合いの小さな集落であるが、この地は古代・中世にかけて都人におおいに親しまれていた地なのである。その理由は、この地を大宝律令が出された701年に近江国(滋賀県)を起点に「東山道」という都から東国を結ぶ官道が通り、その東山道のなかでも殊に標高1576Mの神坂峠を超える信濃国阿知駅(阿智村)と美濃国坂本駅(中津川市)を結ぶ行程は、およそ七十四里を隔てる最大の難所といわれ、「神坂峠」の存在があまりにも大きかったのではないかと思われる。
都からの旅人にとっては険しい峠を越えた最初の人里、そして東国からの旅人にとっては東国最後の里、それが園原なのである。

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源義経が奥州下向の折りに、馬をつないで休んだといわれる大きな桜の木が旧道と林道との分岐点に近い水田の端にある。「駒つなぎの桜」といわれ、樹齢は800年を超えると言われるが、樹勢今なお盛んで、見事な樹冠をもたげ悠然と咲き薫る風姿は、牧歌的な田園風景をとびきりなものにしてくれる。難所・神坂峠の麓で多くの旅人の目を楽しませてきたことがうかがえる。棚田が重なる田園風景の中にあり、開花期は」ちょうど田植えの時期。田んぼに水が張られ、水鏡に映る薄紫の桜を愛でることができます。

さくら名所100選に選ばれた、春の棚田に映る美しき三重津市「三多気の山桜」

「伊勢と大和の境の桜 枝は大和に根は伊勢に」古い馬子唄にこう唄われる「三多気の桜」は雲出川と名張川に分水する室生火山郡随一の霊峰大洞山の美しい山を背景に 咲く、山桜の古木並木である。桜の植樹は平安時代の昌泰年間(899年頃)真福院の開祖でもある理源大師が始まりとされ、その後中世にこの一帯を治めた北畠氏の保護を受けたことから千年からの歴史がある。

伊勢本街道真福院までの参道約1.5kmにかけて続く淡紅色のトンネル「三多気の桜」は「日本の桜名所百選」「全国ふれあいの並木三十選」「東海美の里百選」にも選ばれており、山桜ならではのしみじみとした美しさである。

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たおやかな山容を見せる大洞山を眺めながら桜並木をゆったりと歩くと、古木の側にひっそりと佇む茅葺屋根の家、、山桜と透き通った空を映し出す棚田の水面、「三多気の蔵王堂」と呼ばれる古刹・真福院など桜と競演する様々な風景に出会える

ちなみに真福院は平安時代から蔵王権現の霊場として伊勢・大和両国に知れ渡り、在原業平や平清盛なども参籠しているとのこと。

長野から信濃町へ坂中街道の左右にある紅白の一本桜「大山桜」と「柳桜」

善光寺平北の小高い丘陵に位置する飯綱町牟礼は北信濃の山々を一望できるビュースポットがたくさんあるが、長野から信濃町へ通じる坂中街道沿いの、坂中トンネルを抜けて左手すぐの小高い丘の上に立つ、鮮やかな紅色をした桜が「地蔵久保の大山桜」です。樹高20m、幹周りは5m超える大きさで、その幹は地上わずか70cmのところで5本に分かれ、大きく横に広がる姿は新緑のなかひときわ鮮やかな紅色が遠目にもはっきり見えるが、樹齢100年を超える老木である。

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坂中トンネルを出た四つ辻を右に曲がり袖之山地区に向かう。小高くなった場所にあり、思う存分に長い枝を垂らして咲いているのが「袖之山のシダレザクラ」である。樹高は8.5mとさほど高くはないもののその枝ぶりは見事で長い枝では10m近くもあるだろうか。樹齢は320年以上といわれるが、その勢いは衰えず、滝に上がる飛沫のような堂々たる枝ぶりに煙るように豪勢に花を咲かせる。たくさんの枝を支える幹には、長い時間生きてきた木独特の存在感を感じるのである。日本画家・中島千波画伯が「袖之山枝垂桜」として描いたほか、絵や写真の題材として人気も高いらしい。通称「安養寺の柳桜」とも呼ばれ、もとは附近一帯は安養寺の境内であったという。青い空と残雪の残る北信五岳とのコントラストがうれしい。

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山寺に春を呼ぶ樹齢百数十年のしだれ桜に疏水沿いも散策。京都山科「般若桜」

地下鉄東西線山科駅で下車し「毘沙門堂」を目指し、 駅から徒歩10分ほどで「琵琶湖疏水」に到着。京都の近代化の一環として琵琶湖の水を京都に引くため、明治時代に堀削されたのが琵琶湖疏水で、このうち山科を通る疏水沿い2Kmは”山科疏水の道”として遊歩道が整備され、疏水にかかる安朱橋に立つと、両岸から立派な桜の木が水面に枝を広げて、桜と菜の花のコントラストがどこまでも続く光景に心ひかれる。

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さらに10分程いくと階段を上り毘沙門堂の入口、仁王門が目の前に。天台宗の五箇室門跡寺院のひとつで、ひなびた山寺の風情を残す古刹である。伝教大師作で秘仏とされている本尊の毘沙門天は京の七福神の一つに数えられる。創建は大宝3年(703)でかつては上京区出雲路にあったが、応仁の乱で廃絶、公海僧正が寛文5年(1665)にこの地に復興し、後西天皇の皇子が入寺ぢて門跡寺院となったとのこと。

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桜を見たいので本堂に沿って進むとなかなかの大きな桜の木が朱色の霊伝に花を添えている。境内にある、たくさんの桜の中でも、圧巻は樹齢百五十余年の枝垂桜「般若桜」で、毘沙門しだれとも呼ばれているこの大しだれ桜は、樹齢150年、高さは10Mとさほど高くないはないが、枝張り30Mという大きさが見事で、枝が長すぎるため、下から木で支えられている。ここもJR東海CMで撮られているのである。

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神代の昔からいくつもの時代を経てきた風格を漂わせる信州長野・素桜神社の「神代桜」

長野市内から七曲りを抜けて30分、飯綱高原に向かう途中にある芋井というほとんど戸隠に近いところの集落の田園風景の中に大きく枝を広げた美しい樹型のエドヒガンザクラがある。昭和10年(1935)に国の指定を受けた天然記念物で、高さ約20M、苔の生えた幹はいくつにも分かれ、枝は大地を覆うように四方八方に伸びるという大きさを誇る「素桜神社の神代桜」です。

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天照大神の弟である素戔鳴尊(スサノオノミコト)がこの地を訪れ、持っていた杖を地に挿したところ根付いて大きくなったと伝えられる推定樹齢1200年の巨木である。堂々と鎮座するたたずまいには、その名の通りいくつもの時代を越えてきた神様のよりしろにふさわしい堂々とした風格を感じる。